会議と談じ合いとねりあいの違い

今日は世の中でいう会議と天理教における談じ合い、ねりあいとの違いについて
お話してきます。会議と談じ合い、ねりあいの三つの事柄を正しく理解することで
信仰を深める一助としていただければ幸いです。

結論から申し上げます。

会議とは何かを決めるために行う

談じ合いとは心を一つにそろえるため行う

ねりあいは信仰を深め合うために行う

会議

世の中でも天理教の中でも同じことですが、
会議というのは何かを決めるために存在しています。
もちろん、何も決まらない会議もありますし、
何をしてるのか良く分からない会議も世の中には存在していますが、
それらは会議ではなく相談や話し合いと言っていいでしょう。
会議には議題が存在して、その議題を話し合い、結論を導くために存在しています。

たとえば、夫婦間で『夫のおこづかいの金額』について会議が行われる。
議題は『賃上げ』です。これが家族会議であれば結論が導きだされます。
1万円だったおこづかいが、2万円になる、もしくはそのまま。
悪い時には5000円に下がることもあるでしょう。
議題が存在し、結論が出ればそれは家族会議といえるでしょう。

最近の世の中のたとえでいえば、『ワクチンを輸入しましょう』という議題があり
アメリカから買うのか、イギリスから買うのか双方の情報を検討し、結論を出す。

家族にしても社会にしても会議とは結論ありきで存在しています。

談じ合い

では、談じ合いとは何か。
談じ合いとは心を一つに揃えるために存在しています。

おさしづに
「皆々談じ合うてすれば、どんなことでも出来てくる。」(明治27年6月29日)
とあります。

また親神様は、「みんなが一つの心になれ。一つの心になれば強いものである。
それぞれが自分の意見ばかりを主張するような、ばらばらの心では、
どうしてやることもできぬ。」(おさしづ明治37年12月14日参照)
ともおっしゃっています。

一つに揃えるとはどういうことか、誰かの意見に全員が賛成すればいい
ということではありません。
教祖の思召、教えを台として、みんなの心を一つにしていくことが
大事だと教えられています。誰かに合わすのではなく、教祖に合わせる。

談じ合いは結論を導きだすために存在しているのではなく、
談じ合いを経て人の心が一つになること。これが大事です。

会議でも談じ合いでも結論はでます。
しかし、重要なのは心。
談じ合いに多数決や忖度は存在しえないのです。

ねりあい

ここまで、会議と談じ合いの話をしてきました。
続いてはねりあいです。ねりあいは何のために存在しているか。
ねりあいは信仰を深め合うために存在しています。

お互いの立場や考え方はそれぞれです。
心の自由を親神様から与えていただいたのに、みんな同じことを
考えていたら、変ですし、おもしろくもありません。

ねりあいは信仰を深め合うために存在しています。
その場、その時、与えられた立場や環境の違いを超えて
自分の胸を開いて話をする。
励まし合い、悟り合い、お互いを尊重しながら話し合う
それがねりあいです。

ねりあいを通して信仰は磨かれ、深まります。

最後に

今日は会議、談じ合い、ねりあいの三つの違いについて話をしました。
信仰をしていく上では会議も必要ですし、談じ合い、ねりあいも大事です。
会議という名目であっても信仰者が信仰心をもって行えば
談じ合いにもねりあいにもなりうると思います。
しかし、会議と談じ合い、ねりあいは存在意義が違うということを
認識していれば、そのときどきで不足せず過ごせるのではと思っています。

ありがとうございました。

最後に南紀分会オンライン委員会の様子です

参考:『お道の言葉』深谷善和、『会議革命』斎藤孝

記事作成:片岡元

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