正心座談会第四弾(副委員長座談会)

心を澄ます毎日を。ほこりを減らし、誠を増やす


青年会長の中山大亮様は一月の本部例会の方針発表のお話の中で下記の図を示して、心を澄ます毎日を過ごす上で、循環と習慣の重要性をお話くださいました。

①事情や身上、思い通りにいかなかったことを振りかえる

②教えに基づいた対話を行う

③ほこりを減らし、誠を増やす

今回は南紀分会の副委員長の三人を迎えて、心を澄ます毎日を。ほこりを減らし、誠を増やすをテーマに座談会を行っていきます。司会は片岡が担当致します。

座談会第四弾(2024年2月正心掲載分)

テーマ:心を澄ます毎日を。ほこりを減らし、誠を増やす

参加者:

茶木勘佐(ちゃぎ かんすけ)
南紀分会副委員長
熊野瀬分会
自教会青年

尾崎春道(おざき はるみち) 
南紀分会副委員長
九鬼分会
単独布教師

糸川洋安(いとがわ ひろやす) 
南紀分会副委員長
飛安分会
飛安分教会長

片岡元(かたおか はじめ)委員 
司会(有井分会)

※以下略称:茶木副、尾崎副、糸川副

まず、心を澄ます毎日を。と聞いて何が心に浮かびますか?

ぱっと心に浮かんだのは、おつとめですね。あと僕の中ではにをいがけもそうなのかなと思います。にをいがけが大きいかもしれないです。にをいがけを回ることで、心が磨かれていくような、澄んでいくような感じがします。

ありがとうございます。教会長であり、布教師でもあり、日々にをいがけに歩いている糸川副委員長ならではの意見ですね。尾崎副委員長どうでしょう?

私は腹を立てない事というのが浮かびました。忙しくなってくるとイライラすることも増えてきがちなので、ほこりを減らすという意味では、腹を立てないことを意識することが心を澄ますにつながる気がします。あとは、人の悪口を言っている環境っていうのは結構話が盛り上がったりしがちなのですが、そういう話には乗らないように、話を振られてもうまく受け流して悪口を言わないということも意識しています。

腹を立てない、悪口を言わない。信仰者として素晴らしい心がけですね。続いて茶木副委員長いかがですか?

心を澄ます毎日を。と聞いてシンプルに心に浮かぶことは喜ぶことですかね。喜びを毎日の中でどれだけ見つけることができるか。心が澄み切った世界ってどんな世界かといえば陽気ぐらしの世界だと思います。喜んでいたら心が澄んでいるってことだと思います。信仰していなければ喜べないことも、信仰があることでそれを喜びに変えることができる。また喜びに変えようと努力することが信仰だとも思う。

ありがとうございます。心を澄ます毎日をと聞いて、三者三様の答えでしたね。おつとめとにをいがけ、腹を立てない、悪口を言わない、そして喜ぶこと。
続いて、下記の図にもありますが、最近の身上や事情、思い通りにいかなかったことなど、話せる範囲で何かありますでしょうか?尾崎副委員長お願いします。

私は松阪で布教の傍ら、生活費のためにバイトも少ししています。バイトの内容は主に太陽光パネルの設置されている広い土地の草刈りなのですが、最近その草刈りで慣れもあるせいか、ミスをすることが多くなってきました。ミスを具体的に言うと、太陽光パネル用の電源ケーブルが草の下に張り巡らされており、それを傷つけないようにケーブルから少し離して草刈りをするように指示されているのですが、そのケーブルを傷つけてしまい、バイト先に迷惑をかけてしまいました。これまで一生懸命やってきたので、その場はなんとかなったのですが、反省する共に、信仰的にもこのミスについて考えてみました。切るというのはつなぎのご守護が不足している。十全の守護でいえばつなぎの反対はつっぱりなので、その視点から見ると、上司に指示をされたことも自分の判断で自分の好きなように勝手に進めて突っぱねている部分もあったのかなと。自分の意見を貫き通して過ごしてきたので、素直に人の話を聞くということが大事だと反省した次第です。

思い通りにいかなかったことを振り返って自分の癖に気づくというのはとても大切なことですね。続いて茶木副委員長、最近思い通りにいかなかったこと何かありますか?

三月に少年大会があると思うのですが、三歳の長女が今ちゃんぽんを練習してくれています。譜面も読めないし、口で教えるしかないのですが、全然言う事をきいてくれないです(笑)。何回言っても聞いてくれないので、だんだん腹が立ってくるのですが、三歳の子供に腹を立てても仕方ないなと思いつつ、思い通りにいかないので、無性に腹立たしくなるというのが、最近あったことです。腹立てつつも、おつとめの大事さを子供に伝えていると、そういう時間があることがとてもありがたいなとも思います。ほこりを減らすじゃないですが、親としての修行をしているという気がします。

子供は思い通りにいかないことの典型ですが、その中で学べることもたくさんありますよね。ありがとうございます。続いて、糸川副委員長何か、最近身上や事情ありますでしょうか?

最近、半年ほどは大丈夫なのですが、二年ほど前から偏頭痛に悩まされていて、原因は分からないのですが、めちゃくちゃ頭が痛くなるということがあります。振り返るとその時期はコーヒーを大量に飲んでおり、その時期にタバコをやめたのですが、そのコーヒーが影響しているのかもしれません(笑)。生活リズムが不安定なのも影響していたのかもしれません。

原因はコーヒーだね(笑)。

コーヒーを控えましょう(笑)。糸川副委員長ありがとうございました。続いて三問目の質問です。青年会長様は、身上や事情、思い通りにいかないことを振り返り、それを教えに基づいて他者との対話が大事だと伝えてくださっています。日常の中で教えに基づく対話はされているでしょうか?またされている場合はいつ、どんな相手と対話をしていますか?茶木副委員長お願い致します。

身近でいえば、妻と。子供のけがや病気の際に夫婦で話し合いの時間を持つことが多いです。年祭活動も二年目に入ったので、一年間の振り返りと反省、これからの二年目の過ごし方などを妻と話合いました。あとは青年会のみんなとは会う機会が多いので、青年会活動の時間などは自然と教えに基づいて話ができているのかなとおもいます。

周りの人と意識的に信仰の話をしている感じですか?

特別に意識はしていないですね。信仰者同士が集まれば自然にそういう話になる気がしますが、そうじゃないですか?

私はめちゃくちゃ意識して話をしています。意識しないと信仰と関係のない日常の話ばかりに終始してしまいがちなので(笑)。糸川副委員長、教えに基づく対話、日々の中でされてますか?

日々特別意識はしていないですが、飛安の教会に三日に一度ぐらいの頻度で参拝に来てくれる熱心な信者さんがいるのですが、その方と話をしているときは、教えに基づいた対話ができているのかなと思います。

ご年配の信者さんですか?年配の方との対話だと、対話というより、お話を聞かせてもらうという形になりがちじゃないですか?

そうですね、その方との関係性でいえば、教えを私が説くというよりは、悩みなどに対して、おたすけさせてもらうというような感じが多いですね。

なるほど、でも教会長と信者さんでしっかりコミュニケーションが取れるというのはとても大事ですね。続いて、尾崎副委員長どうでしょう?

家族の話し合いの機会を月に一度もうけています。九鬼の後継者の事柄についての相談から始まったのですが、今も継続しています。信仰の話を日常の中ですることは案外難しいのですが、場所と時間を仕切って、環境を整えると話がしやすいということがあります。今も習慣的にその話し合いが続いていることはとてもありがたいことです。基本的には一か月の振り返りで、お互いの話をするのですが、話をすると同時に相手の話を聞くというのもとても有意義な時間になっています。

2024年2月号(正心紙面の続き)

非常に良い時間ですね、その月一の話し合いの場は誰が始めようと言い出したのですか?

私からですね、九鬼の後継者の事柄について、親の意見も聞きたいし、私たち子供の意見を聞いていほしいという思いがあり、そういった相談の場を持ちました。

ありがとうございます。続いて四つ目、最後の質問ですが、青年会長様は身の回りの出来事の振り返り、教えに基づく対話、そして対話を通してほこりを減らし、誠を増やすという循環と習慣の重要性をお伝えくださいました。端的に言えば教えを日常に落とし込むという事だと思いますが、教えに基づく生活を日常で習慣化させるために大事だと思う事はそれぞれありますか?まず、糸川副委員長お願い致します。

まず、意識をするということが大切だと思います。自然に、勝手にというのは難しいでしょうし、尾崎副委員長がやっているように場所や時間を仕切ったり、そういった教えに基づいた環境を意識的に作ってそれを継続させていくということが大事だと思います。月に一回でも継続することで、自分に身について、意識している時間以外の時間にも良い影響が広がっていくのではないかと思います。

ありがとうございます。尾崎副委員長はどうでしょう?

おつとめが一番だと思います。私は今一人暮らしで講社を祀っています。教会では朝づとめ、夕づとめがつとめられることはあたりまえですが、自分の家の場合は自分の生活リズムによって、自分のタイミングでおつとめをつとめることが多くなってしまいます。疲れ果てて帰ってきたときとかはおつとめをするかしないか、葛藤するときがあります。しかし、どんなに疲れていてもおつとめはつとめさせていただいています。おつとめをするかしないかというは自分自身の信仰の上で一番重要だと考えています。朝、一日の神様へのお願いと、夕に一日の感謝、かしものかりものへの感謝、そしてほこりを積んでいたらそのほこりを払う、これはおつとめの時間以外でといってもなかなか難しいかなと思います。私自身は朝夕のおつとめに加えて、また別の時間で身の回りの方のたすかりを願っておねがいづとめをつとめる。そこまでさせてもらうというのが大事かなと思っています。最初、疲れているときなどは、おつとめがテキトーになってしまったこともありましたが、今は習慣化できたおかげで、おつとめもしっかりつとめることができるようになったと思います。

ありがとうございます。偏見丸出しですが、私の尾崎副委員長の印象は疲れたときとかのおつとめをするかしないかの葛藤で、あきらめてしないという選択をとらず、葛藤に打ち勝ち、おつとめをする。というイメージですが、葛藤に負けたことはないですか?

おつとめだけはテキトーになってしまってもやるだけはやりますね。

さすが、イメージ通りです。ちなみに私はするかしないかの葛藤にいつも負けています。今日も朝、六歳の長女に朝づとめしないの?と聞かれ、お父さんは眠たいから今日はしません。と答えて、娘に怒られました。(笑)続いて、茶木副委員長お願い致します。

神様の言葉に毎日触れようということは、最近強く意識しています。教理書はたくさんありますが、その中でも原典である、おふでさき、おさしづ、みかぐらうた、これに触れるというのは意識しています。もちろん毎日できているわけではなくて、全然触れない日もありますが、なるべく触れる努力はしています。おふでさきやおさしづを読んでいても深い意味などは全然分かりませんが、ふとしたときに読んだおさしづの一節がその時の自分の状況などにフィットするというようなことに出会うとすごく嬉しいですし、心が勇んできます。教えを習慣化させるということと一致しているかはわかりませんが、自分自身の信仰の上でもモチベーションにはなっています。

神様の言葉に触れるというのは具体的に、いつ、どんな時間とか決まっているんですか?

基本的には夜ですね。日中の御用も終わって、子供たちが寝静まったころに、おさしづ見開き2ページだけ読むとか。そんな感じですね。


すごいですね。

内容は分からない事がほとんどですよ。ただ、先日読んだ天理教青年会の「あらきとうりょう」の中で、分からない中でも触れ続けることが大事といった趣旨の内容が記載されていたのですが、本当にそうだなと自分自身思っています。

ありがとうございます。これで、副委員長三人の座談会を終わらせて頂きます。それぞれの日常やそれぞれの考え方の一辺でも聞かせていただき、大変有意義な座談会になったと思います。本日は誠にありがとうございました。

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