青年会座談会(大事なものは何?)

前書き

南紀分会は、天理教青年会の基本方針「世界たすけへの挑戦」、また活動方針「かしものかりものの教えを治める」「自分にできるおたすけに動き出す」をテーマに活動しています。これから南紀分会では委員を中心に、分会の思いや考えを伝える座談会を不定期で開催します。ゆくゆくは会員の皆様にもご参加いただき、より良い分会活動のための座談会になればと思います。

座談会第一弾(6月正心掲載分)

テーマ「自分にできるおたすけに動き出す~あなたの大事なものは何ですか?~」
参加者:

森田晶仁委員長(南勢分会)

間瀬正和副委員長(﨑花分会)

大川敬祐副委員長(遊木浦分会)

司会・片岡元副委員長(有井分会)


※以下略称:森田、間瀬、大川、片岡

司会進行の片岡です。今回は青年会の活動方針「自分にできるおたすけに動き出す」をテーマに委員長及び副委員長三人でお話しします。どうぞよろしくお願いします。いきなりですが、「自分にできるおたすけ」と言ってもなかなか話しづらいので、『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』という書籍を参考に、「自分にとって大事なものは何か」という視点から「自分にできるおたすけ」について考えます。その本には、自分がやりたいこと、自分にできることを見つけるには、「自分にとって大事なことは何か」を考え深めることが大事だと書かれています。なので、まずそれぞれが思う自分にとって大事なことについて伺いたいと思います。

私の場合は、ひとりの時間がとても大事です。もちろん、家族や教会が大事という前提の上ですが、子供も多く、教会のことも忙しい、青年会や少年会とバタバタしている日常では、ひとりの時間がとても大事です。何するわけでもなく、漫画を読んだりする程度ですが、その時間がないと気持ちが張りつめたままになってしまう。オンためのオフの時間が必要で、オフがあるからこそオンの時に頑張れる自分がいますね。

いいですね。自分にとって大事なことを見つめることで自分にできるおたすけに繋がるのではないかと思います。考え方を他者に向ければ自分の時間を確保したい人がいるということなので、自分の時間を確保するための情報や手段を提供することで、自分にできるおたすけに繋がるという可能性もありますね。

私は妻の存在ですね。妻とだからこそ、今までもこれからも道を歩んでいけるのだなと感じます。誤解を恐れずに例えるならば、妻のためなら信仰をやめてもいい。それほど大切です。私が私らしくいられる源であり、必要不可欠です。一人でいるときより、妻と一緒にいるときのほうが自分は本来の力が発揮できますね。

妻が信仰をやめるなら自分もやめていいというのは、裏を返せば、妻の信仰があるから自分があるとも言えるので、まさに森田委員長は素晴らしい台の上に立っているんだということが言えますね。台が揺らいでいたらそんなこと言えません。(笑)

根本的なところを言えば、自分にとって本当に大事な物は何なのか、それを見つけたいという思いもある。生きていく中で大事なものはたくさんあるが、ほとんどは心の表面で大事と思っているだけで、心の奥底から本当に大事だ、これは離すことはできないと言えるような大事なものを見つけられていないような気もする。

たしかに、自分にできるおたすけに向かう上では、自分の核となる大事なものを見つめるために立ち止まって考えを深める時間も必要かもしれませんね。教内外問わず、仕事や御用に追われてやりたいことよりやらなければならないことを優先してしまうこともある気がします。自分はいったい何なんだ、何者で、何がしたくて、何が大事なんだ、みたいな疑問と向き合う時間は大切ですね。

すべからく身近なものは大事に決まっているし、失ったときに初めて気が付くことは往々にして起こりえる話ですが、そのときの環境や時期、立場などで大事なものは変わっていくとも思います。

大事なものは変わっていく。これも良いポイントですね。大事なものは変わっていくという前提で、自分にできるおたすけというのは今に視点を当てているので、今、自分にとって大事なもの。これもまた意識するポイントかもしれません。普遍的に大事なものは早々に見つけられないかもしれないけど、今自分にとって大事なこと。これに焦点を当てることで自分にできるおたすけに動き出すきっかけが生まれるかもしれません。

大事なもの、自分にできるおたすけも考えすぎると、それを一生抱えて生きていかなくてはならないみたいな考え方になってしまい、動きづらい。自分と向き合うことは大切だけど、深堀しすぎるとしんどい部分もあるので、今大事なものは何か、そこから自分にできるおたすけへつながっていけばいいと思います。

正心6月号(紙面の続き)

今に焦点を当てるというのはいいですね。私にとって大事なものははっきりしていて、長女の名前の由来でもあるんですが、長女の名前は理帆子で、理は天理教のこと、帆は船の帆であって、海外布教のイメージ。子は妻が宣子という名前なんですが、妻が大事なので妻から子の文字をもらって、長女の名前を理帆子としました。この三つが私の大事なことですが、今に焦点を当てると変わってきて、私にとって今一番大事なものは青年会なんです。青年会は40歳というしきりもありますし、40歳までは青年会を第一に考える。妻や子供に迷惑をかけることもありますが、40歳までは青年会を一番にと考えています。それが最終的に自分や家族の幸せに繋がると思っているんです。今に焦点を当てたときに皆さんにとって大事なものってありますか? 先ほどと変化はありますか?

「……。」

「ないかな(笑)」

なんか結局、全部大事なんですよね。今を考えると、今与えられている環境、御用、立場などは優劣なく全部大事なんですよ。今与えられている環境は神様から与えていただいているものであって、全部大事なんです。大教会も大事、青年会も大事、もちろん家族も大事。でもとりあげて一番大事なものは何かと言われれば妻という答えになるだけであって、結局全部大事なんですよ。

森田委員長と私は全然考え方が違いますね。(笑)私は順番をつけがちですが、委員長は全部大事にする。私も全部大事にできる力があれば全部大事にしたいですが、どうしても力を割り振らないと行動できないもので。

私も委員長に近い意見です。全部大事で、とりたててこれは一番大事というものはない。極端な話、大事なものは毎日変わっていく。今日は妻、今日は教会、今日は子供、今日は青年会、今日は大教会、今日は信者さん、といったように。今日大事なものも明日は違うものが大事になる。今の環境はそんな感じがある。

それはそうですね。信者さんへのおたすけへ向かう中で青年会のことを考えていたらダメですもんね。その点も自分にできるおたすけを考える上では重要で、自分にできることを考え、実動する上で、間瀬副委員長のような方であれば毎日大事なものは変わるという前提で動く必要がありますよね。それがないと何か動き出したとしてもすぐ頓挫してしまいます。南紀分会の活動で考えるとゴミ拾いの活動は適していますね。毎日環境が変わってもゴミ拾いなら続けることができます。

話の中で気付くことがたくさんありました。その中で、何か大事なものを「掴む」ことに対して少なからず不安な気持ちが自分の中にあると気付きました。何かが大事と決めることで、何かは大事ではなくなる気がします。大事なことは何か、それを明確にして考え深めると、何かを失うのではという恐怖心みたいなものが心の中にある。極端にいえば大事なものを見つけたくない自分がいる気がします。

間違いないですね。大事なものは大事であればあるほど失ったときに動けなくなりますし、具体的にしないことで心が安定する側面があるのは事実だと思います。大事なことを見つめる上では大事なものを失う怖さであったり、大事なものを見つけたがゆえに失う何かであったり、これを無視して話を進めることは危険かもしれません。

良い意味でも、悪い意味でも、大事なものに執着しないようにという考えが自分の中にあるのかもしれません。けれども、本当に大事な物っていうのはなんとなく自分のなかでは分かっているような気もします。先人の道すがらを考えれば、その大事なものを掴むために人間思案を断ち切り、信仰に一途に、一条に通る道を示されていて、その上での大きな御守護も確かにあると思います。ただ、成人の鈍い今の私には、なかなか、、、、、、、、。なので大事なものを見つけることが怖いという人もいるんだと思います。

そうですね、今回の座談会では大事なものを見つけましょうという流れで話を進めていますが、その恐怖心を度外視して、その恐怖心にだれも気付かず、会員さんに自分にできるおたすけへ動き出しましょう、大事なものを見つけましょうと言ってしまっては、良い活動、良い分会にはならないと思います。非常に良い時間を過ごしましたが、結論は全く決めていなかったので、最後は委員長に締めてもらいたいと思います。(笑)

私ですか? むちゃぶりですね。

急な着陸ですが、委員長お願いします。

この座談会の流れをまとめますね。自分にできるおたすけへ動き出すために、ちょっと違った角度から考え始めました。自分にできることを見つけるために、自分にとって大事なものを四人で考えたんですね。すると、自分の時間や妻、自分を大事にしてくれる人が、大事だとわかった。また、大事なものに順番をつけることができる人もいれば全部大事だという人もいた。大事なものが毎日変わっていくという人もいて、大事なものを見つめることに恐怖心を抱く人もいた。そして、座談会の結論となるわけなんですが、森田委員長お願いします。

もしかしたら、そもそもみたいな話になるかもしれませんが、何事も神様が決めてくれていると思うんです。自分にできるおたすけはこれだ、自分のやりたいことはこれだと思うことや思う時があるわけですが、自分に合ったものや出会うタイミング、それらを含めてすべて神様が用意してくれているものだと思います。もちろん神様は親であり、子どもの自主性に任せている部分があり、成人の度合いに応じて、いろいろなプランを神様は用意してくれているとも思いますが、すべては神様の親心だと思います。

話は少し変わりますが、南勢分教会において、会長である父の跡を継がせていただくことができたならば会長は私で八代目になります。八という数字は、をふとのべのみこと様の御守護に深く関係があるとよく祖母から聞かされました。八という数字、をふとのべのみこと様は人間のお産、世界ではあらゆるものの出生、発芽、育成の御守護なんだよと聞かされてきたんです。その祖母の話を受けて、幼少期から八という数字、をふとのべのみこと様の御守護を感じながら生きていこうとわくわくしていたことを覚えています。ここで、今の自分を考えてみると、たとえば分会活動ではYoutubeの制作であったり、私生活ではDIYなど物作りであったり、何もないところから何かを生み出すことが好きなんです。自分の好きなこと、自分の特性というのは祖母の話から考えると、生まれたとき、生まれる前から定められたものがあるんだなと最近になって気が付きました。なので、生まれたとき、生まれる前から持っているものというのはみんなあるんじゃないかなと思っています。

なるほど、結論としては大事なもの、やりたいことを見つけるのは大事だけど、それはもうすでに神様が自分の中に仕込んでくださっていると。大事なものを見つけようとやっきになるのもいいですが、自分の中にあるものに気付くことが大事だということでしょうか。

そうですね、神様がすべて用意してくれているんだと思います。

道具衆と言われるように、たとえば森田委員長は「かなづち」で、片岡副委員長は「のこぎり」でというような、それぞれの陽気ぐらし世界実現へ向けた道具としての特性を神様は与えてくれている。それに気が付くかどうか。森田委員長はそれに気付いたが、それぞれがその自分の特性に気付くことが大事なんじゃないかと思います。

結局そこに着地しますね。今回は書籍の手法を参考にやりたいことを見つける、大事なことは何かを考えましたが、結局大事なところは信仰。信仰はすごく必要なものです。私は自分を大事にしてくれる人が大事と言いましたが、自分を大事にしてくれているその人は神様が用意してくれているということですね。自分にできるおたすけに動き出すということを考えると、突き詰めていけば、やはりお道、信仰が大事だということになります。

結論がどうなるか分からないまま座談会を始めましたが、書籍を参考に一般論から自分にできるおたすけに動き出すことについて考え始め、お互いの意見を交換し、最終着地点は信仰だということになりました。無事に着地できたかと思いますので、本日の座談会これで終わりとさせていただきます。ありがとうございました。

2件のコメント

拝見させていただきました。

普段の生活では、お道、信仰を忘れがちですが、毎月の正心でググッと手繰り寄せて頂いております。

毎月楽しみにしております!

ありがとうございます。

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