一言百巻①(親神様の働き)

親神様の働き(2022年7月正心掲載分)

ここでは、お道の教義書である『天理教教典』(以下『教典』)に拠りながら、親神様のお働きについて確認しようとします。

 『教典』では、第四章「天理王命」において、親神様のお働きが述べられています。

   親神を、天理王命とたたえて祈念し奉る。

   紋型ないところから、人間を造り、永遠にかわることなく、万物に生命を授け、その時と所とを与えられる元の神・実の神にています。(『教典』三六頁)

 親神様のお名前は、「天理王命」様です。私たちの信心は、合掌して「なむてんりわうのみこと」と神名を唱え、親神様にどうかおたすけくださいと祈りすがるところから始まるように思います。

紋型とは、紋など、何か模様を切り抜く時の型のことをいうので、「紋型ない」とは、型が何もない、手本にするものがない、といった意味になります。親神様は、そうした元の型にするものが何も無いようなところから、この世人間世界をお造りくださった元の神様であり、今なお現に御守護くださっている真実の神様です。私たちが、今この時、この場所に生きているという事実。それは親神様のお働きの賜物であるといえるでしょう。続く『教典』には、

    このよふのにんけんはじめもとの神

    たれもしりたるものハあるまい   三 15

    どろうみのなかよりしゆごふをしへかけ

    それがたん〳〵さかんなるぞや   三 16

   親神は、人間世界の根元にていまし、この世を創められたばかりでなく、この世の有りとあらゆるもの、悉く、その守護によらぬものとてはない。しかも、しかも、その自由の守護の程は、眼に、身に、心に、ありありと、感じることが出来る。まことに、元の神・実の神にています。(三六、三七頁)

と記されています。

天での親神様のお姿については、

  天では月日と現れ、さやけくも温かい光をもつて、余すくまなく、一れつにこの世を照らされる。(三七頁)

とあります。

昼、空を仰げば太陽が輝き、夜、暗くなれば月がのぼる。この月日の運行をもとに、私たちは暦をつくり、一日の時の流れを知ります。この世のいのちの源は、太陽からの光であり、そこから植物はでんぷんをつくり、草を食む動物が育ちます。海をみれば、潮の流れの中は数多のいのちで満ちあふれ、その潮の満ち引きのもとをたどると、月の引力に行きつきます。そうした自然の恵みを頂いて、人間は生きています。

   人は、天地の間に生を享け、至妙な自然の調和の中に生存している。遍く月日の光を身に頂いているように、隔てなく天地の惠に浴している。天地は月日の理で、人は、天地抱き合わせの、親神の懐に抱かれて、限りない慈しみのまにまに生活している。

(三七頁)

 天地の恵みは、親神様のお働きそのものであり、その中で私たちは生かされて生きているのです。

2022年正心7月号紙面の続き

 親神様は、十全の守護をもってこの世人間を造り、常にかわることなくお働きくださっています。その御守護の理には、神名が配されて、説き分けられています。

  くにとこたちのみこと 人間身の内の眼うるおい、世界では水の守護の理。

  をもたりのみこと 人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理。

  くにさづちのみこと 人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理。

  月よみのみこと 人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の理。

  くもよみのみこと 人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理。

  かしこねのみこと 人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理。

  たいしよく天のみこと 出産の時、親と子の胎縁を切り、出直の時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理。

  をふとのべのみこと 出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理。

  いざなぎのみこと 男雛型・種の理。

  いざなみのみこと 女雛型・苗代の理。(三八、三九頁)

 この十全の守護の説き分けによって、私たちの身体の働きは、親神様のお働きによるものであり、また天然自然、世界の成り立ちもすべて親神様のお働きによるものだと詳細に教えられるのです。

守護の説き分けについて、先人が残した史料をよませていただくと、眼うるおいはくにとこたちのみことよりのかりもの、ぬくみはをもたりのみことよりのかりもの、というように、守護の理一つひとつに親神様からの「かりもの」であるという説明がされています。この「かりもの」である、という説かれ方を思案させていただくと、私たちの身の内、身体が親神様からの「かりもの」であるという真実は、この十全の守護の説き分けによって、はっきりと具体的に示されていることに気付かされます。

『教典』には、十全の守護の説き分けの終わりに、

 親神天理王命の、この十全の守護によつて、人間をはじめとし、万物は、皆、その生成を遂げている。(三九頁)

と記されています。

 続く『教典』の記述をたどらせていただきます。

    たん〳〵と何事にてもこのよふわ

    神のからだやしやんしてみよ   三 40135

   この世は、親神の身体であつて、世界は、その隅々にいたるまで、親神の恵に充ちている。そして、その恵は、或は、これを火・水・風に現して、目のあたりに示し、又、眼にこそ見えぬが、厳然たる天理として、この世を守護されている。即ち、有りとあらゆるものの生命の源であり、一切現象の元である。

 私たちの暮らしに必要不可欠な火・水・風。それは眼に見える親神様のお働きです。ただそれだけではなく、親神様は人間の眼には見えない天理をもってこの世を守護されています。この天理については、

   実に、この世は、理ぜめの世界であつて、一分のすきもなく、いささかの遺漏もない。天地自然の間に行われる法則といわず、人間社会における秩序といわず、悉く、奇しくも妙なる親神の守護ならぬはない。(四〇頁)

と記されています。この世には天理が働き、科学で語られる自然法則も人間社会の秩序もすべて親神様が御守護くださる天理によって成り立っているのです。ところが、天理は眼には見えません。私たちは、それを心で感じとっていくことになるのでしょうか。容易に知るに及ばないところですが、おそらく、教えを学び、信仰の実践を重ねて道を通るなかで、少しずつ少しずつ悟られるものなのでしょう。神様のお言葉である「おふでさき」には、次のように歌われています。

  このよふハでりいでせめたるせかいなり

  なにかよろづを歌のりでせめ      一 21

  せめるとててざしするでハないほどに

  くちでもゆハんふでさきのせめ     一 22

  なにかもちがハん事ハよけれども

  ちがいあるなら歌でしらする      一 23

 この世は理ぜめの世界であり、その理はおふでさきの歌によって示される。私たち人間に心得違いがなければよいのだけれど、もし心得違いがあれば、それはおふでさきの歌によってお知らせくださる。こうした内容が、おふでさき全十七号の最初の号に出てきます。そして、最後の十七号の終わりには、

  いまゝでのよふなる事ハゆハんでな

  これからさきハさとりばかりや     十七 71

  これをはな一れつ心しやんたのむで   十七 75

と歌われています。この先は悟りばかりや。心思案頼むで。これらのお言葉を胸に含ませていただくと、常々おふでさきをよませていただいて、日々現われてくる現象に対して思案を深め、天理を悟る努力を重ねていくことを教えられているように思います。

 少し横道にそれました。『教典』に戻ります。

    このせかい一れつみゑる月日なら

    とこの事でもしらぬ事なし     八 51

    月日よりみなそれ〳〵とみさだめて

    善とあくとをみハけするぞや    八 52

   親神は、人の心はもとより、総てを見ぬき見透し、善悪共に見分けて、思召のままに守護されている。(四〇、四一頁)

 おつとめの地歌である「みかぐらうた」の六下り目に「三ッ みなせかいのむねのうち かゞみのごとくにうつるなり」とありますが、人間の心は鏡に映るかのように、すべてそのまま親神様に届いています。そのとき、善悪の判断は親神様がしてくださって、

  たん〳〵と十五日よりみゑかける

  善とあくとハみなあらハれる       二 44

と歌われるように、私たちに現実としてお示しくださるのです。おふでさきにはっきりと「十五日より」と記されているところから、何か出来事として具体的に現れてくるのだろうと思案します。

 そして、その親神様のお働きは、人間が我が子を思うような親心の現れであると『教典』では教えられます。

    にんけんのわが子をもうもをなぢ事

    こわきあふなきみちをあんぢる    七 9

    それしらすみな一れハめへ〳〵に

みなうゝかりとくらしいるなり    七 10

このせかいなにかよろづを一れつに

月日しはいをするとをもゑよ     七 11

   しかも、親神は、どこまでも、一れつ子供を愛撫される親にています。しかるに、この親心を悟らず、天理を無視し、己が力を過信して、我ままな心を遣い、得手勝手な行をしているのは、万一切を支配し、総てを見ぬき見透されている親神の眼から見れば、あたかも独り歩きする幼児のようで、これほど危ないことはない。

    どのよふなくどきはなしをするのもな

    たすけたいとの一ぢよばかりで    七 26

    一れつのむねのうちよりしんぢつに

    はやくわかりた事であるなら     七 27

    それからハ月日よろづのしはいする

    なにかよろづのたすけするぞや    七 28

   親神は、これをあわれと思召し、種々言葉を尽して、一れつたすけの限りない親心を明かし、よろづいさいの真実を教えて、自由自在の珍しい守護を見せられる。(四一、四二頁)

 このように親神様は、常に子供である人間をたすけるために、お働きくださっているのです。そして、『教典』第四章「天理王命」は、次のくだりをもって結ばれています。

    月日にハせかいぢううハみなわが子

    かハいいゝばいこれが一ちよ     一七 16

   親神は、人間の実の親にています。親神は、ただ一すじに、一れつの子供に陽気ぐらしをさせたいと望ませられ、教祖をやしろとして表に現れ、元初りのいんねんあるぢばにおいて、たすけ一条の道を啓かれた。

   ぢばは、天理王命の神名を授けられたところ、その理を以て、教祖は、存命のまま、永久にここに留り、一れつを守護されている。

    どのよふなたすけするのもしんちつの

    をやがいるからみなひきうける     七 101

   実に、天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであつて、陽気ぐらしへのたすけ一条の道は、この理をうけて、初めて成就される。

あしきをはらうてたすけたまへ

てんりわうのみこと      (四三、四四頁)

 親神様は、世界一れつの人間をたすけるために、教祖をやしろとしてこの世の表にお現われくださいました。私たちは、教祖によって、親神様の御存在を知り、おつとめをはじめ、陽気ぐらしに至る道筋をお教えいただいています。

 親神様は、今も元のぢばにお鎮まりくださって御守護くださり、教祖は存命の理をもってお導きくださっているのです。

 『天理教教典』第四章「天理王命」に基いて、親神様のお働きについて確認させていただきました。親神様のお働きについて端的に述べることはできませんでしたが、『教典』の内容をたどらせていただくことで、親神様のお働きについて知り、思案させていただくことができました。あらためて親神様の御守護に感激と御礼を申し上げて、勇んでつとめさせていただきたいと思います(筆者)。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »