おたすけ塾信仰エッセイ(大川敬祐)

おたすけ塾ー東京・埼玉篇 塾生道中記

当たり前の積み重ねが、心に響くインパクトとなる

南紀分会副委員長 大川敬祐(遊木浦)

「当たり前の積み重ねが、心に響くインパクトとなる」

今回のおたすけ塾を通して、本芝房分教会で学んだことを一言に凝縮するなら、この一言になります。

これまで、様々な御用を通して出会った教友達に「本芝房は勉強になりますよー」と、教会のことについていろいろ聞いていたので、そんな教会なら、一度は勉強しに行ってみたい! と思い続けていました。そして今回、南紀分会の活動主軸の一つである「おたすけ塾」に参加し、本芝房分教会で学ばせていただく機会ができたのですが、実際に勉強させてもらったことは、自身の信仰の上でも確かな「衝撃」となりました。

本芝房で学んだこと、それは「誰でもできる当たり前のことを、当たり前にできるようになる」です。「当たり前こそ難しい」、私自身も当たり前の難しさを痛感しているつもりでしたが、谷澤先生の「教祖のひながたは誰にでもできる御教えだから、誰にも真似できないようなことをしようとするのではなく、誰もができることを考えて、それをコツコツ積み重ねていくことが大事なのです」というお話を聞いて、自身の信仰を振りかえってみても思い当たることが多々あり、深く心に刺さりました。

そして、今回最も印象深かった一言が、「成らん理を積むことなら、私でもできる」です。本芝房分教会が布教活動を展開していく上で、もっとも大切にしている心構え、それは、谷澤先生のお話に何度も出てきた「成らん理を積む」ということでした。老若男女、誰でもできる布教スタイルで「成ってくる」ことを目的に置くのではなく、「成らん理」を積みにいくという活動方針に、教会の皆さんも「成らん理を積むことなら、私でもできる」と、一人一人が「にをいがけ」を生活習慣にされているお話を聞かせてもらい、大きな勇みを頂きました。

以前どこかで、イチローが「特別なことをするために特別なことはしない。普段どおりの当たり前のことをする」と、習慣の大切さを説いている記事を目にしたことがありましたが、本芝房分教会が特別に「成ってきた」理由が、ほんの少しわかったような気がしました。

しかし、いくら誰でもできることとはいえ、「当たり前のことを積み重ねていく」ことも、布教活動での「成らん理を積み重ねていく」ことも、継続していくのはやはり難しいことだと思います。では、本芝房に繋がる皆さんを支えている継続力の源は一体何だろうか? と自分なりに考えてみました。

私が本芝房で一番肌身に感じたもの、それは教会にいる方々の「明るさ」です。誰とお話しさせてもらっていても、皆さんにじみ出るような明るい「にをい」があり、どこか心地良さを感じるものでした。「心地よい暖かさの明るい信仰」。もちろん普段からの信仰姿勢に裏打ちされたものに他ならないでしょうが、それ以上に教会内の皆さん同士で、どんな小さなことも「喜ばせあい、褒め合い、勇ませ合う」姿に、継続力の真髄を垣間見た気がします。

今回の学びを信仰生活に落とし込み、しっかり活かしていけるよう、「当たり前の積み重ね」に励ませてもらいます。

最後になりましたが、今回のおたすけ塾を開催するにあたり、大教会長様には大きな親心でお導きいただき、南紀に繋がる皆様方にもお心寄よせご支援を賜りましたことを、書面にて恐縮ですが、心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

ねりあいの様子(筆者:写真中央の青いシャツ)

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