青年会人材派遣生の三石晋一郎委員が、海外部での研修中に教理発表を行いました。今回は、教理勉強コーナーとして、その要旨を掲載いたします。
貧に落ち切る(正心2月号掲載分)
目次
私は今回、「貧に落ち切る」について考えていきたいと思います。
諭達第四号に、「教祖はひながたの道を、まず貧に落ち切るところから始められ」と書かれており、教祖のひながたをたどらせていただく私にとって非常に重要なことだと思ったので、少し考えさせていただきました。
『稿本天理教教祖伝』(以下『教祖伝』)に、
月日のやしろとなられた教祖は、親神の思召のまにまに、
「貧に落ち切れ。」
と、急き込まれると共に、嫁入りの時の荷物を初め、食物、着物、金銭に到るまで、次々と、困っている人々に施された。(23頁)
とあります。家財道具に至るまで施し尽されて後、「この家形取り払え。」「瓦下ろせ。」「家の高塀を取り払え。」と、次々に家の財産を離していかれました。やがては、母屋を取りこぼちになります。その結果、世間の人には笑われ謗られ、周りの人々には見放されました。
中山家は格式の高い家であり、夫・善兵衞様は、今でいう村長のような存在であったそうです。周りからの信頼も厚く、慕われていました。このような結構な生活をしていた中山家であったのに、なぜ教祖は貧に落ち切られたのでしょうか。『教祖伝』には、
一列人間を救けたいとの親心から、自ら歩んで救かる道のひながたを示し、物を施して執着を去れば、心に明るさが生れ、心に明るさが生れると、自ら陽気ぐらしへの道が開ける(23頁)
とあります。この点について矢持辰三先生は次のようにおっしゃっています。
教祖はひながたの最初に、「貧に落ち切る」行いをされましたが、それには、「親神の思召のまにまに」という大前提があるわけです。それと教祖の五十年の大目標があったと思うんで、その大目標と離れた部分的な歩みではなくて、大きなたすけ一条の道の確立に向かうという大前提の最初の段階としての「貧に落ち切る」道だったということです。(道友社編『ひながたを温ねる』9頁)
また、諸井慶一郎先生は、
すなわち、たすけ一条のこの道は、人間の知恵や学問、あるいは財物によってつけられるものではなく、親神のお働きによってのみつけられる、人為によらぬ天然自然の道である。そこでたすけ一条の道をつけられるために邪魔になる一切のものを取り払われた。(『あらきとうりよう』第91号 61頁)
といわれています。
大目標と離れた部分的な歩みではなくて、大きなたすけ一条の道の確立に向かうという大前提の最初の段階としての「貧に落ち切る」道だったということ。人為によらぬ天然自然の道。貧に落ち切る行いについて、矢持先生と諸井先生はこのようなことをおっしゃっていますが、私には少し意味がわかりませんでした。しかし、二代真柱様のお言葉を読ませていただくと、少し意味がわかったような気がしたので、紹介させていただきます。
どん底の場合におきましても、一番素直になれるであろうと思うのであります。物の執着を取って、明らかに胸の掃除のできる立場、態度になってくると思うのであります。それはどん底になって、裸になってしまうのが目的ではないので、かくして胸を掃除してきれいな清らかな心になって、そうして陽気ぐらしの御守護を頂くことなのであります。裸になるのは目的ではなくて、風呂に入るのが目的です。風呂に入る目的のために、まず裸になるのと同じ―多少意味が違うかもしれませんが―段取りであるわけであります。
ここの場合におきましても、どん底へどん底へと落ち切られて、いろいろな意味を何しておられるのは、一面において世間の人の同情を寄せる手立てであったかのように見えるのでありますが、決してそうではないのであります。おそらくさようなことによって、一番行動がとりやすい、親神様のお心がわかっていただけるようなことが、掃除的なもの、そうして施しという反面の事柄が立て合って、かようなことになってあるので、どん底へ落ち切らなかったならば、どん底の人たちの心がわからないというような説明に、それは後になって、われわれに対するお仕込みの上から、お出しになった言葉でありますが、その時に、たとえお出しになっても、それはわれわれの心を養う上からおっしゃったもので、決して目的ではないということを考えていただきたい。これによって次へ来るもの、心を明らかに、しっかりと陽気ぐらしへ、物の執着を取って進んで行くところの根底を築く意味であるということを、お考えいただきたいのであります。(中山正善『第十六回教義講習会 第一次講習録抜粋』152~153頁)
このようにあります。教祖の貧に落ち切る行いは、たすけ一条の道、陽気ぐらし世界を目的とした御行動であったということです。格式を離して親しみをもってもらうことが、目的ではありません。親神様、教祖は私たちが想像を絶するような先をみています。その中で、陽気ぐらし世界の実現に向けた土台として、この貧に落ち切ることを始められたのだと考えます。
また、「心を明らかに、しっかりと陽気ぐらしへ、物の執着を取って進んで行くところの根底を築く意味であるということを、お考えいただきたいのであります。」と、二代真柱様のお話の中にあるように、物への執着をとることが、陽気ぐらし世界への土台となるといわれています。では、物への執着をとると、どうなるのでしょうか?
「水を飲めば水の味がする。」
「お月様が、こんなに明るくお照らし下されている。」
これらの教祖のお言葉は、貧のどん底に落ち切ることによって初めて、これまで気づかずにいた親神様の御守護が身にしみて感じることができるようになり、そこから本当の喜びと感謝の気持ちが生まれてくることをお教えくだされたものです。
貧に落ち切ることで、今あるもの、この世界のすべては親神様からのかりものである、ということに気づけるようになるのではないでしょうか。貧に落ち切ることを通して、お月様がこんなにも明るい。有難い。水を飲めば水の味がする。と感じられるようになってくる。親神様の御守護を御守護として感じられるようになってくる。これが本当の幸せなのではないでしょうか。このように思います。幸せと感じる瞬間が多ければ多いほど幸せです。
正心2月号の続き
さて、ここまでは、なぜ教祖は貧に落ち切られたのか、また貧に落ち切ることでどのようになるのかについてみてきました。では、現代を生きる私たちにとって、貧に落ち切るとはどういうことなのでしょうか。
「貧に落ち切る」ことの捉え方として、二つの見方があると思います。一つは従来からの立場、社会的地位などすべてを断ち切っていくということ。もう一つは「貧に落ち切る」ことを心の問題としてとらえ、物への執着心をなくすことが陽気ぐらしへとつながっていくという心理構造を示されたという見方です。
「貧に落ち切れ。貧に落ち切らねば、難儀なる者の味がわからん。」(『教祖伝逸話篇』四 一粒万倍にして返す)
このお言葉の意味について、二代真柱様は第十五回教義講習会において次のように述べられています。
教祖様が自ら貧のどん底へお落ちにならなければ、教祖様には貧のどん底の意味が解らないのだ、と斯様に人間一般の様に考えましたならば、それは我々の考えは非常に偏って居りますので、それは当らないのであります。
親神様の思召しを以てお考えになって居る教祖様にとったならば、百も二百もその味わいは御存じであります。(中略)人間各自が、ひながたとして左様な立場に立ち到った時の心の持ち方が解るのであります。つまり、行いを以て、どん底に置き乍らも陽気ぐらしへと起ち上って行く道すがらをお教えになったのであります。(『真柱訓話集』昭和二十九年 926~927頁)
このお言葉をみると、二代真柱様は、そのような困難な立場に到った時の心の持ち方をお示しになったと仰っています。
また、『教祖伝逸話篇』には、
教祖が、梅谷四郎兵衞にお聞かせ下されたお言葉に、
「私は、夢中になっていましたら、『流れる水も同じこと、低い所へ落ち込め、落ち込め。表門構え玄関造りでは救けられん。貧乏せ、貧乏せ。』と、仰っしゃりました。」(五 流れる水も同じこと)
とあります。金子圭助先生はこのお言葉について、
何よりもまず現象的に、形の上で貧乏することによって、心の救い、魂の救いへ進む道があるのだということをおっしゃっているのではないかと私は理解しています。(前掲『ひながたを温ねる』10頁)
といわれています。
では、形の上だけで貧に落ち切ってもいいのでしょうか。二代真柱様のお話の中に、「心を明らかに、しっかりと陽気ぐらしへ、物の執着を取って進んで行くところの根底を築く意味である」(前掲「第十六回教義講習会」)とあるように、この土台を築くためには、やはり形だけ通ればいいということにはならないと考えます。物への執着をとり、今この瞬間にも親神様から与えてもらっている御守護に心から感謝できることが大切なことではないかと思います。
宮森與三郎先生のお話の中に、
教祖様は唯ある財産を無くして低くなられたのやない心までや、腹から優しい温かい心になつて低くなられたのや、(中略)教祖様のよふに温かく誠の心で低くならねばならん。(『みちのとも』大正六年七月号 68頁)
とあるように、教祖のように温かく誠の心で低くなることが必要であると思います。そのためにはやはり求道の部分が非常に大切であると改めて感じさせていただきました。教祖はどういう思いで御行動されたのかを考え、その心をたどらせていただくためにはどう行動するのかが大切であると思います。
本当に形の上で教祖のように貧に落ち切ることを教えられているのか。または心の持ち方について、ひながたを通して教えてくださっているのか。はたして貧に落ち切るというひながたをたどるとは、どういうことなのか。大事なことは、教祖のひながたを形だけたどっても意味はないということです。教祖の心をたどらなければならないと思います。しかし、その心をたどるためにはやはり形をたどることが必要ではないか。どちらにせよ、現代で貧に落ち切る必要はないということにはならないのかなと思います。
相手を理解する心、たすけ一条の心、神一条の心。このことを理解する上で、私たちは貧に落ち切るという道をたどらせていただかなければならないと思います。
実際に自分が落ち切らなければ、そこにあるものが見えません。しかし、教祖のように今ある財産をすべて手放すことは、今の私にはできませんし、この現代においてそれが必要かもわかりません。しかし、落ち切った先に何があるのかは、やはり自分が経験しないとわからないものだと思います。これから始まる海外での活動を通して、少しでも教祖のように他者へ心から施し、おたすけができるようになりたいと思います。
インターネットで見つけたんですが、こんなことを書いている方がいました。「この『貧に落ち切れ、貧に落ち切らねば、難儀なるものの味が分からん。』この部分の『貧に落ち切る』は、例えば『病気』に言い換えてみる。次に『人間関係』に言い換えてみる。なぜ『貧』なのか。それは、病気はかりものであるこの体を自ら傷つけることになる、人間関係は相手を傷つけてしまう。しかし、貧に落ち切ることはそうではない。このことから、じぶんが自ら進もうと思えば、この道は通れるのであります。なので神様は主体性を大事にしている。」このように、書かれていました。いつの時代でも、人間は財産や社会的地位、名誉に走り、それがいかにも幸せかのように考えがちです。そうした人間の心の持ち方を切り替えるために、まず貧に落ち切るという道を、身をもって歩まれたのです。
「教祖様が西へ行つてござるのに、東向いて歩いて居つては足跡を踏して貰ふ事が出来ない。」(前掲『みちのとも』59頁)と宮森先生が仰っています。そのことをしっかりと理解させていただき、これから始まる教祖百四十年祭へ向けての三年千日を、一生懸命自分なりに通らせていただきたいと思います。
コメントを残す